『100個チャレンジ』というタイトルに惹かれ、借りてきた本。
勝手に100のチャレンジリストを決めて実行に移していく話だと思っていた。
ちょっと前に「死ぬまでにしたい100のリスト」を作ったばかりだったのでタイトルに興味を持った。
しかし、開いてみるとどうやら違うようだ。
100個チャレンジとは一体何か?
『100個チャレンジ』とは100の事に挑戦するという事ではなく、一年間100個の私物で生きてみる、というチャレンジだった。
最近どうも『片付け』や『シンプル』、『持たない』という断捨離方向にマインドが進んでいるのか、本も勝手にそうゆうのが寄ってくる気がする。
誰の本なのかも気にせずに読み始めた為、カリフォルニアに住んでいるという情報から事業に成功して金を持っている日本人が書いた本だと思っていたが、アメリカ人実業家デーブ・ブルーノ氏の体験談のようだ。
アメリカの消費主義を批判して、モノを少なく持つことを推奨してきた著者は、ある日、自分が主張しているポリシーとは全く反対の生き方をしていることに気付く。
消費主義を疑えと言っていた彼は、自分自身も疑うことなく自分の主張と同様に生きていると思っていたらしいが、見まわしてみるとモノ、モノ、モノの山だった。
そこから彼の挑戦が始まった。
彼は家族の理解を得て、挑戦を開始する。
まずは挑戦前にモノを捨てる準備期間を設ける。一年かけて捨てたモノは数えきれない程だった。
そしてそのモノの大部分がなりたい自分を投影したモノということに気付いたのだ。
鉄道模型や木工職人になるための工具や道具など。そして冒険家に必要なアウトドアグッズ。
彼は人生の半ばで諦めたり保留にしていた彼の夢を捨てきれず、そのマインドをモノという形で保存していたのだ。
モノを捨てると共に保留していた夢などに折り合いをつけていく。
そして、準備期間を経て、彼は一年間の100個チャレンジを見事成功させる。
実質は100個持つ事はなく、だいたい90個台を行き来していた様子。
なんと100個チャレンジの期間が終わった後も彼は、モノが増えることなく100個以内に収まっているらしい。(本を書いていた当時のこと。今はどうなんだろう?)
100個チャレンジの意義。
これは100個のモノで生きていく一年間よりモノと決別をしていく期間の方が重要だったのではないかと思う。
人はモノを蓄えたがる。これは一種の現代的な防衛本能によるものだといこは思う。
人は自分を定義づける為に、職業や地位、過去の実績などをよりどころにする。それ以外に自分を定義づけするのに便利なのがモノなのだ。
人がブランド品を買う心理はこれだ。物理的にブランド品を買い、身に着けることによって、ブランドイメージを自分のアイデンティティに取ってつける。そして自己イメージを強化するのだ。
その為には高い金を払う事も惜しまない。
そうやって人はモノに自己実現のイメージを持ち執着する。だから捨てられない。
捨てられない大勢の人はきっと何故捨てられないのかを掘り下げて考えたことがないか、何となく気付いていてもそこに目を向けることによって自尊心が脅かされることを本能的に知っていて見ないふりをする。
モノをたくさん持っている事=より優れていてより豊か、という風に私たちはいつからか巧みに刷り込まれてしまったのだ。
しかし、もうその時代は終わろうとしている。
たくさんの人が目覚め始めている、ような気がする。
チャレンジしてみちゃう?100個チャレンジ。
いこは3か月に1度は、家の中に要らないモノがないか点検し、処分する。
今日も本10冊と服15着を処分した。
処分するモノはなんとなく数えて、これだけ捨てたー!と悦に入ることはあっても、自分が持つ全てのモノを数えてみた事はない。
家具はカウントするのか、など著者も苦労していたのが『どこまでを自分のモノとしてカウントするのか』というところ。
この著者のルールとしては
- 下着はひとかたまりに一つとする
- 靴下もひとかたまりに一つとする
- 本棚と本も一つとカウントする
他にもなんかあったかな…。覚えているのはこのくらい。
さて、これを始めると宣言すると大変だぞ、いこ。
もう少し今月の断捨離を進めてから考えよう。
でも、やってみたい気持ちはめちゃくちゃある。
月末あたりには宣言しちゃう………かも?