いこは貧乏性なのかもしれない。
新しいものをどんどん手に入れるよりも、持っているものがどんどん古く、年季が入っていくのが好きだ。
そしてなるべくものを少なく持っていたい。
つかわない不必要なものを持っているのが嫌い。
ものにはひとつひとつに念と意思があるように思う。
たくさんのものを持つとそれぞれに自分自身の意識が引っ張られるように感じてしまうのだ。
そうすると自ずと思考に邪念が入り、意識が散らかり注意散漫になる。
整理整頓や掃除がメンタルや風水的に重視されているのはこれが理由なんじゃないだろうか。
ものが往生して幸せを感じた不思議な瞬間。
自分でも不思議に感じる出来事があった。
独身時代のある日、小さな土鍋で一人用の食事を作ろうとしていた時にそれは起こった。
その古く小さな土鍋はもう寿命で、ヒビが入り水漏れしはじめたのだ。
それに気付いた時に、何故かとても幸せな気持ちになったのだ。
普通なら、何かが壊れてしまった時に残念な気持ちになるはずだ。
でも、いこはとても幸せで満たされた気分になった。
それはきっと、その年季の入った土鍋が天寿を全うし、使い切られた瞬間に立ち会えたからなんだと思う。
そしてまたひとつ持ち物が減り、よりシンプルに生きていけるということも幸福感を助長したんだろう。
ものが壊れた時の心の在り方、それは生き方そのもの。
何かが壊れて悲しんだり悔やんだりする生き方はなるべくならしたくない。
出会いも別れも受け入れる。外界に左右されずにいつでも幸せでいたい。
そして足りない暮らしは知恵を育む。土鍋がなくとも死ぬことはない。普通のお鍋でだって同じものは作れる。
いつでも、よりシンプルに潔く生きていきたいものです。
