どうも、いこです。
数か月前に読んだ本が頭を離れない。普段は読み切りっぱなしのいこが何度も何度も読み返してしまう本に出会ってしまった。
いろいろな人のブログでおすすめされていてずっと気になっていた本。
グレッグマキューン著のエッセンシャル思考だ。
敢えて散らかした人生を目指していたいこにとっては対極にある考え方のエッセンシャル思考。
日常的に行っている断捨離以外はいこの人生は散らかりまくり。
エッセンシャル思考を読んでいろいろなことが思い当たり、また腑に落ちもしたので今回はエッセンシャル思考と断捨離で散らかした人生に決別 するという決意をもってお話をさせていただこうと思う。
エッセンシャル思考を読んで痛いところを突かれまくる
まずは簡単にエッセンシャル思考について簡単に説明させていただく。
エッセンシャル思考とは
エッセンシャル思考とはあらゆる些末なノイズの中から大事な物を見極め、不要を排除して自分の時間とエネルギーの配分を最適化し、見極めた大事なことに一点集中し最大の成果を得る為の思考法である。
要は、人生の中で、自分にとって本当は必要のないものごとや考え事で人生を侵食されてしまっていることに気付き、自ら何を手にするのかを主体的に考えて不要なものを断ち、捨て、離れる、人生の断捨離をする考え方なのだ。
エッセンシャル思考の本の中にはわかりやすく図で示されたものがあり、なるほどと唸ってしまった。

その図とはエネルギーと書かれた円の外側に矢印が配されたものが二つあり、ひとつは一本の長い矢印のみ、もうひとつはたくさんの短い矢印が放射線状に伸びている。
二つの円の和の長さは等しい。(上の図はいこが適当に書いたので長さが等しいかはわからないが、等しいものとして見て欲しい)
長いものがエッセンシャル思考。短いたくさんの矢印が非エッセンシャル思考というわけだ。
どっちが事を成し遂げるかは言わずもがなだ。
二兎を追う者は一兎をも得ずという諺が頭に浮かぶ。
あれもやらなきゃこれもやらなきゃと手を出し、あるいは来るもの拒まずの姿勢でいた結果、器用貧乏でいて何事も成し遂げないいこ自身のことだなと、痛いところを突かれた思いがした。
エッセンシャル思考だとブレイクスルーポイントに早く到達する

断捨離以外は非エッセンシャル思考の極みの人生
日常的に断捨離をする以外は人生のあらゆることが非エッセンシャル思考のいこ。
例えば、結果的にエレベーターの方が早く目的の階に着くことがわかっていても常に進んでいる感じのするエスカレーターの方が好きな性格。
このエピソードもエッセンシャル思考の話に当てはまる。
2階や3階上がるだけであればエレベーターもエスカレーターも大差はないかもしれない。むしろエレベーターを待つ時間が長ければエスカレーターの方が早く着くかもしれない。
でも、これが高層ビルだったら?
小さな選択だけれども、この積み重ねが大きな差を生むんだろうな。
非エッセンシャル思考:敢えての散らかし人生について少しだけ言い訳
敢えて散らかした人生を目指して生きてきたいこにとってエッセンシャル思考は対極の考え方である。
最初にエッセンシャル思考を読んだとき、散らかし人生なりにエネルギーが満ちていたのでこの本を読むことでブレてしまいそうで(散らかすことができなくなりそうで、というか耳が痛くて)、しばらく読まないでおいた時期がある。
何故敢えて散らかそうと思ったのか?
いこはもともと好奇心旺盛で何でもやってみたいタイプ。しかし、飽き性でもあり、少しかじっては放置したり、別のもっと面白そうなものに興味が移ってしまい一つの事に熱量が続かないということを自覚していた。
それはコンプレックスでもあり、一つのことに人生をかけて生きる人を本当に尊敬し、崇拝し、時には嫉妬さえ覚えてしまう程。
人生訓には『いつかきっとあなたの使命が見つかる』みたいなことが言われていたりするが、いこはすでに35歳を過ぎている。どこにあるのさ、いこの使命。
そんな中、散らかし人生を選んだのは、一種の開き直りと飽き性な性格への対処法としてだった。
ひとつのことに興味が続かないのであれば、並行していろんなことに手を出せばどれも新鮮な気持ちで続けられるのではないか?という考えがひとつ。
もうひとつは偏りはあれどいろんなことに興味を持ちアンテナを高くして、いろんなことに手を出しているうちにもしかしたらその使命とやらが見つかるかもしれないぞ、という一縷の望みによるものだ。
語学に関しても、英語が飽きたらスペイン語、スペイン語が飽きたら中国語と渡り歩いた。しかし、長年やっている英語以外はほとんどものになっていないのが実情だ。
敢えての散らかし人生を歩んできたが、広く浅く薄っぺらい経験値がそこにあるということに、いこは気付いていた。
断捨離を通して非エッセンシャル思考な人生と向き合う
先述の通り、断捨離だけは好きで2019年の春には今までで一番ストイックな断捨離を決行した。
それについては断捨離で処分したものと得たもの【2019年春】読んでみて欲しい。
最近断捨離の必要性を前よりさらに感じるようになったのは人生のあらゆるノイズに無意識レベルで気付いて煩わしくなったからかもしれない。
ちょうど2019年春の大断捨離のタイミングで出逢ったのがエッセンシャル思考という本なのだ。
エッセンシャル思考には断捨離に役立ついくつか良い言葉が紹介されていた。
エッセンシャル思考の断捨離キーワード
- より少なく、しかしより良く
- 世の中の大半のものはノイズである。本当に重要なものはほとんどない。
- 絶対にイエスだと言い切れないなら、それはすなわちノーである。
今回の断捨離ではこれらの言葉を意識して取捨選択を行った。
特に3番目の絶対にイエスだと言い切れないなら、それはすなわちノーである。という言葉は力強く、断捨離の基準を厳しくしてくれた。
断捨離でものと向き合うことは自分の価値観と向き合うこと
今回のストイックな断捨離の中で、たくさんのものと向き合った。
今までの断捨離で見過ごされていたものなんかもあった。不要というわけではないが、今すぐ捨てようとも思わないというレベルのものをかなり捨てた。
ものと向き合う中で自分の価値観にも改めて向き合った。
今回の断捨離での気付きは、いこはものづくりに興味と憧れがあり、何かを作り出す材料をかなり溜め込んでいた。
割ときちんと分類され、整理整頓されていた為今までの断捨離のテーブルにはあがってこなかったが、そのクラフト系・ハンドメイドの材料そのものがいこの散らかした非エッセンシャル思考が現実世界に現れた様子だったのだということに気付いた。
なりたい自分、こうあるべき自分、○○らしさというレッテル。
見えないしがらみが、家中にものとして溜め込まれていたことに気付いた時には半ば愕然とした。
それらを捨てていくことによって、散らかった非エッセンシャル思考もかなり整理され、スッキリしたように思う。
その他にも、断捨離を通してなりたい自分と決別していったのだ。
エッセンシャル思考で生きてみようと思う
絶対にイエスだと言い切れないなら、それはすなわちノーである。
この言葉にはパワーがある。
人生をかけて熱狂できるひとつのことが見つからないからと、あらゆることに手を出してきたいこであるが、これからは少し考え方を変えてみようと思う。
散らかした人生はある意味刺激があって、空白がなく充実していて楽しかった。
けれど、一度人生そのものの断捨離もしてみようと思う。
いこは人生の中でまだ絶対にイエスというものがどれだかわかっていない。けれど、絶対にイエス以外がノーであるのなら、人生のほとんどのものはノーだ。
それだけはわかる。
非エッセンシャル思考で散らかしまくってきたいこ、ここで一度エッセンシャル思考にシフトチェンジして、人生がどう変わっていくのか実験してみようと思う。
しかし、散らかし人生も楽しかったので、敢えて非エッセンシャル思考を選ぶ時がまた来るかもしれない。
それもまた人生なのだ。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。