どうも。いこです。
里帰り出産を機に実家の断捨離を決行 – 母の微妙な変化という記事で実家の断捨離について書かせていただきましたが、今回は断捨離に伴う罪悪感についてのいこなりの考察についてです。
いこも断捨離が出来るようになるまで、モノに対するもったいない精神が強く、モノを捨てる事に対してものすごく罪悪感がありました。
しかし、その罪悪感はどこから来るのかを深く掘り下げた時に、自分の価値観が見えてきました。
それでは、【 断捨離に伴う罪悪感を掘り下げると見えてくる自分の価値観 】、参りましょう。
実家の断捨離で見た母の拒否反応
里帰り出産を機に決行した実家での断捨離では事あるごとに母の拒否反応があった。
特に食器類と冷蔵庫。
いこが片付け始めると機嫌が悪くなり、「触らないで!!捨てる物なんて何もないよ!」と騒ぐ。
使える物を捨てるという考えが信じられない様子。
貧乏時代が関係しているんだろうと思う。
モノに執着しているようで実は違う
実家の断捨離での母の様子や、いこ自身の断捨離でモノと決別してきた葛藤を通して、何を捨てる事に罪悪感を持っているのかでその後ろに隠れているものが違うように感じた。
それぞれ考察してみたのが次の通り。
冷蔵庫の中身
実家の冷蔵庫の中身の断捨離を通して。
おなかに入る容量を考えたら食の細い両親二人で暮らしていくのに大きな冷蔵庫が必要なのか?
田舎は毎日スーパーに行くわけじゃないのである程度の容量が必要なのはわかる。
けど、賞味期限を過ぎてもまだ食べられるからと捨てずにとっておく食材や冷凍したものは、ある程度の時期が過ぎると結局気持ちが乗らずにいつまでも食べない→そして古くする→でも捨てると食べ物を無駄にしてしまうことに対しての罪悪感を感じる→だったらとりあえず保留としておいておこう。その気になれば食べられるものだし。という悪循環に陥る。
要は見たく無いもの、直視したくない事実を捨てないことによって後回し、見ないようにしているだけのこと。
しかし、捨てるのをただ拒否する人はここまで辿り着かない。きっと掘り下げたら自分に都合の悪いことが露呈することは無意識にわかっているから。
更には隙間があることに対しての無意識の恐怖心。
餓えに対する本能的な恐怖心とも言い替えられるかもしれない。
食器
確かにつかえるものを捨てる事はもったいない。
祖母の社交時代の名残り。
祖父が議員だった時代があり、議員の妻として社交をしていた祖母はたくさんの食器を揃えていた。
祖父も祖母も亡くなり、今大量の食器は不要となった。
しかし、「誰か来た時におもてなしをしたい」という気持ちだけは母にもあり、それが食器というカタチで残っているのではないかと思う。
掘り下げると人間関係に対しての執着心や恐怖心に行きつく。
誰かと繋がっていたい。食器を処分することでそれが絶たれてしまうのではないか、という恐怖心。
いこの実家に関しては食器はそういう念の表れだと思うが、人によっては暖かい家庭の象徴だったり、ステータスの象徴だったりするのではないかと推測する。
執着しているものは名誉かもしれないし、飢えへの恐怖心などの可能性もある。
衣類
明らかに着ない服をいつか着るから、ととっておくのは断捨離あるある。
いこの母やいこに限らずよく耳にする話。
高かったから。痩せたら着る。また流行りが廻って来た時に着る。
最近だと、「どうせ売るにしても古着屋にタダ同然で売るよりはメルカリなどのフリマサイトでじっくり高く売ろうっと。でも今は時間がないから出品は忙しいのが落ち着いてから…」と思いながらいつまでも処分せずに置いてあるというパターンもある。
いこ自身も身に覚えがある。どうせ手放すにしてもお金になった方が嬉しいな。だからメルカリで売ろう。でも気分が乗らないから元気な時に。
…一生気分なんて乗らないのだ。
いこは手放す事ができるようになってから大量に売った服がたとえ全部で500円にしかならなかったとしても、部屋がすっきりしてこっちがお金を払いたいくらいなのに、タダで引き取ってくれた上にちょっとしたお小遣いまでくれるなんて、というマインドになった。
メルカリで売ろうと考えながらいつまでも頭の端っこのTO DOリストに残っているのは不健全だし発酵してガスパンパンの心の便秘になると個人的に考える。
昔の自分に対する執着心、過去への執着心。
過去のノートや手帳
感性に関する執着心。
個人的な事だが、いこはノートが大好き。
昔は毎日毎日自分の思考をノートに書きつけていて何十冊も保管していた。
断捨離を初めてどんどんモノを捨て始めたいこだったが、ノートはなかなか捨てられなかった。
ある時、なぜノートだけは捨てられないのかを掘り下げてみたところ、歳をとるごとに感性が鈍っていくのを自覚していたいこは無意識に過去の純粋で豊かな(本人はそう思っている)感性を手放したくなかったんだと気付いた。
そこでいこは「本当にそうだろうか、過去の遺物に盲目的に執着することが果たしてこれからの感性を豊かにすることがあるだろうか。」と自問自答して、「そうじゃない、ノートを捨てたからといって感性を捨てることにはならないし、執着しているものを捨てることで新しい感性が入ってくるはず。」という答えにいきついてノートを処分することができた。
もちろん何でもかんでも大切に思っているものまでを捨てる必要はない。
ただ、モノが捨てられないという気持ちを通して自分を深く知ることもできるということだけは伝えたい。
まとめ
捨てられたくない物によって、隠れている感情が垣間見える。
- 食器類はステータス(名誉)や人間関係への執着心
- 冷蔵庫の中身は飢えに対する恐怖心、問題を先送りする姿勢
- 衣類は過去の自分への執着
- ノートや手帳は感性に関する執着心
以上がいこなりの考察でした。