松尾スズキの大人失格が大好き過ぎて3回も購入した話




いこが、アウトローな人生を歩むきっかけになった本、それが松尾スズキ大先生の「大人失格」だ。

 

学生時代、ヴィレッジバンガードにハマり、面白い本が品揃えしてある事に気付いたいこは足繫く通っていた。

当時、松尾スズキ大先生のことは知らなかったが、文庫本のジャケ買いにより運命の出逢いを果たす。

 

オレンジ色で和紙のような手触りの表紙に、白文字のゆるいフォントで「大人失格」と書かれている。

その表紙から肩の力が抜けていて、私たちのイメージする大人感から既に遠い。

その「大人失格」という言葉の響きや本全体から放たれるゆるさに惹かれ手に取ってみた。

開いてみると、『「私は大人だ」今、この日本でいったい何人の大人が、そう胸をはって言い切ることができるだろう。大人らしさとかでなくて。しがらみから独立した「大人」という素朴な生き物になること。私がもくろむのはそれだ。』から始まる。

 

当時いこ18歳、いよいよ大人になろうか、という絶妙なタイミング。

これは見えざる者の思し召しではないだろうか。ほぼ直感で迷うことなくレジに向かった。

 

この一冊の本が…いこの人生を狂わせるなんてその時はまだ気づく由もなかったのだ………。

 

 

とにかく衝撃的に文章が面白い

自称読書家だったいこ。人並よりは少しばかり、たくさんの本を読んできた自負はある。

しかし自分の世界がいかに狭かったことを知ることになる。

 

当時は女性作家の本が好きで、江國香織さん、唯川恵さん、川上弘美さん、山田詠美さんあたりの本を貪り読んでいた。

一人の作家さんにハマるとずっとその人の本を読み続ける傾向のあるいこ。

逆に言うと知らない人の本にはなかなか手が出なかった。

 

そして選んでいたのは比較的読みやすいスタンダードな作品だったのだと、今になって思う。

 

「大人失格」はエッセイであるが、小説ばかり読んでいたいこにはほぼ未知の世界。

エッセイとは何なのか。ググってみると、以下の通り。

エッセイ
  1. 自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。
  2. 特殊の主題に関する試論。小論。
    ▷ 「エッセー」とも言う。 essay

作家さんの価値観、個性丸出しのおしゃべりということだな。

 

いこは「大人失格」というコンセプトを自分なりに理解し、敬意を表し講義中に読むことにした。

しかし、思った以上の内容にいこは笑いを堪えることに必死で、唇を噛み震えている姿は、涙をこらえ嗚咽しているように見えた事だろう。

こんなに面白い本は読んだことがない、ひとり占めなんてしていられない。この素晴らしい本を誰かと分かち合いたい!!ということで学校で一番のひょうきん者で面白い大西君に「どうか読んでみて欲しい」と頼み込み、「大人失格」を読んでもらった。

だがしかし、残念な事に大西君からの賛同は得られなかった。彼はまだまだ先にいるのか。

それとも松尾スズキ大先生が遥か先にいるのか。

 

もちろん後者なのだ。そうするとそれを「面白い」と思えたいこも僭越ながら大西君の遥か先にいる事になるが。

 

離れがたい「大人失格」

人生の要所要所で、身辺整理をする度に手放してきた「大人失格」。

ずっと手元に置いておきたい気持ちはあったけれど身軽になりたい時もある。

 

初めて手放した時にはまだ「大人失格」は読み物として楽しみ、いこは大人になるつもりだったのかもしれない。

2度目に出逢った時、それは24、5歳あたりだろうか。

ふと思い出し、あの独特なワールドに浸りたくなったのだ。

 

古本屋で探しゲット。

読み返しても、あの時のままに新鮮な衝撃が再度襲ってくる。

最初手に取ったのが18歳。あれから6年経っている。

時は流れた。放浪癖のあるいこはお金を貯めては旅に出る。という暮らしを続けていた。

あの時より少し、正しい「大人失格」に近づけているような気がする。

いつもこの本を手に取り、読了した時には「この気持ちを、この素晴らしい本を誰かと共有したい!!!」と興奮状態になってしまう。

 

そしてその時一番この本を紹介するに相応しい人を選び、勧める。

しかし、何故か響かないのだ。

 

3度目は29歳。勤勉に倦まず弛まず「大人失格」への道を邁進して来たが、かなり様になってきたのではないだろうか。

一目見て、こいつスタンダードな道を歩んできていないな、とわかってしまう雰囲気をまとい始めた。

中南米帰りの髪の毛は500円くらいでかけたボリビアパーマでちりちりになっており、民族柄の小さなポーチを肌身離さない。

3度目の選ばれし者は、まだ恋愛関係になっていない旦那わさお君だった。

当時は厳格な師弟関係を結んでおり、当時東京と岡山という距離にも関わらず毎日のように連絡を取り合っていた。

師にあたるいこは、「君、これを読みたまえ。少しは面白い大人というものがわかるかもしれないよ。」とばかりに秘伝の書を託した。

 

でも響かないのだ。誰にも響かない。

面白いね!くらいでは足りない衝撃的なエッセンスがここに詰まっているのに。

 

 

今、「大人失格」は手元にない。

そろそろいこも「大人失格」の完成形になれたのではないのだろうか。

答え合わせに4度目の「大人失格」を手に入れようと思う。

 

 

そして、もう2度と離さないのだ。

 

 

おまけ

話によると星野源氏のエッセイで紹介されていたというではないか。

話のわかる男じゃないか!!!

アマゾンのレビュー読んでみたけど、「一見軽薄なギャグであっても、根幹には哀しみと祈りがあり
目を凝らすと哲学と美学が内包されている。」なんて素晴らしいことも書いてあった。

いこは3度も手放しては手に入れてを繰り返しているが、自慢じゃないが内容は覚えていない!

でも、いいじゃない。そのくらいしつこくなく、するりと抜けていきながらまた読みたいって本。なかなかないぞ。

 

真面目過ぎて人生に疲れているあなたへの処方箋「大人失格」。

読んでみてください。

いや、この記事をここまで読み進めている人はもう既に読んでるだろうな「大人失格」。ちゃんちゃん。