ブラジルの弓場農場での経験とそこで得たもの-世界一周旅行記

ブラジル日系農場




ブラジルやペルー、パラグアイなど南米には日系移民の子孫のコミュニティが数多く存在する。

 

2012年。わさこは友人のスズキチと中南米を旅していた。

旅の途中、お金が尽きかけていたわさことスズキチ。貧乏だが時間はある。

 

どうにか旅を延長する方法はないか探していたところチリの日本人宿、汐見荘で旅人の情報ノートに、ブラジルに農業を手伝えば寝食がただで過ごせる場所があるとの情報が。

 

わさことスズキチはすぐに飛び付き、目的地をそこに定めることにした。

 

そこはサンパウロから北西に600キロの辺りにあるという。

わさことスズキチはチリからバスでアルゼンチンへ抜け、さらにパラグアイを経てブラジルへ。

遠い遠い道のりを経て、やっとのことでそこにたどり着いたのだった。

 

「祈り、耕し、芸術する」を理念としている農場での経験

わさことスズキチはそこに2か月程滞在し、実に様々な経験をした。

農業の手伝いをしたり、収穫した果物でジャムを作ったり、芋からデンプンを摂ったり、家畜の脂肪で石鹸を作ったり、バイオリンを習ったり、河に身体半分を浸しながらの釣り、大きなでかい犬に容赦なく追いかけられ飛び掛かられたり、とにかくたくさんのこと。

その農場には日系ブラジル人2世から4世くらいの人たちが当時70人程暮らしていた。

そのほとんどは親戚だ。人里離れたコミュニティだ、時間が経てばみんなが親戚だというのもうなずける。

 

そこに住む人々は野菜や果物、米などの農産物を栽培し、豚、牛などの家畜を育て農場を経営している。

その農場を開いた今はなき一世の人が開墾時「祈り、耕し、芸術する」という理念を掲げ、以来その理念はしっかりと受け継がれている。

食事の前には黙とうをし、祈る。

そのコミュニティにいる人たちはほとんどすべての人が、踊り、歌い、絵を描く。そして楽器をたしなむ。

とにかく多才なのだ。

それもこれも芸術が生活と共にある。理念がどこまでも浸透していることがわかる。

 

かつて、交通や通信などが発達していない時代にも、その農場へ旅人がたびたびやってきたという。

遠い道のりを苦労してやって来てくれた旅人をおもてなししよう、ということで、旅人には無償で食事と宿を提供し、それに感謝した旅人たちがお礼として農業を手伝う、というのが昔からの風習として今現在まで根付いているようだ。

 

生きることとは何かを教えてくれたそこでの暮らし

 

ある日、農場で飼育している牛を一頭屠畜するという。わさこは何故かタイミングを逃し見に行くことが出来なかった。

肉を食うものとして、知っておかなければいけないことだと思った。

またある日、既に屠畜が終わった豚をこれから皮を剝いで解体する、という場面に立ち会った。

お湯を沸かしいよいよ解体が始まる、という段階でわさこはそれ以上見ていることができず、ヘタレにもその場を後にした。

今ではとても後悔している。

 

いつかはしっかりと見なくてはいけないと思っている。

 

 

 

 

 

倉庫を利用して作られた旅人用宿舎はあくまでも倉庫の為、屋根は天井がなく屋根裏がむき出しになっている。

古い木造の為、いつも仕事から帰ってくるとベッドの上に木くずのようなものや大量の虫が。

それをまず払い落とす事から寝る準備が始まる。

 

そして朝にはご飯の準備が出来ると食堂から目覚まし代わりにほら貝で知らせてくれるのだ。

まだ暗いうちから食事をして農業手伝いの支度をする。その頃には美しい朝焼けを見る事が出来る。

豊かだと思った。本当の豊かさを考えるきっかけになった。

 

 

 

 

何もかもが初めてで鮮やかで新鮮だった。

2か月そこで生活して驚いたことがあった。

ある日足の裏をなんとなしに触ったところ、赤ちゃんの足の裏のように柔らかく滞りがなかったのだ。

その農場の敷地はすべて土か、草。コンクリートを踏まずに生活するだけでこんなにも足の裏が違うのかと。

 

そこには生きていくための全てがあった。ように思う。

人間が生きていくための根本的な知恵がたくさん詰まっていた。

あそこでの経験が今の価値観を支えていると言っても過言ではない。

 

いつかまた行きたいと思っている。次は旦那わさお君と共に。