みなさんは、思春期と言われる中学生から高校生の時代に、込み上げて止まないあなたの鋭く瑞々しい感性を迸るままに表現する思春期ノートを書いていただろうか。
いこは15歳の時、脳内に湧き出てくるたくさんの想いをノートに綴り始めることにした。
小さい頃から本が好きだったいこは、脳内に溢れかえる言葉の洪水を放っておくと自分ごと溺れそうになってしまう為、その混沌とした言葉達を世界に引っ張り出して、乾いたノートの上に整列させる事にしたのだ。
今は昔のあの感性。
15歳のいこの世界はとてつもなく狭かった。日本で人口が一番小さい市、歌志内(うたしない)という北海道の炭鉱町で生まれ、一学年30人程しかいない小さな中学校で井の中の蛙のように育った。
図書館が遠く、なかなか行けない距離ではあったが、田舎ならではのサービスなのか『移動図書館』というのがあってマイクロバスに本をたくさん詰め込んで2週間に一度、家の近くを巡回してくれるのをとても楽しみにしていた。
たくさんの本を読んで文字を蓄え、それが頭の中で醸され、発酵した何かは今にも爆発しそうな程だった。
その臨界点がいこの場合、『15歳』だったというわけだ。
狂ったように書きまくったあの日々
思春期ノートは15歳か18歳頃まで続いたかな。冊数にして30冊は優に超えるだろう。
無印良品の数冊セットになった大学ノート。
何を書いていたかというと、何てことはないことばかり。
思春期ノート駆け出しの15歳のノートは開いてみると、まぁ読んじゃいられない。
いつだか恥ずかしすぎて一番古い時代のノート数冊は処分してしまった。
段落も何もあったもんじゃない。当時好きだった男の子の事がメインで、その他には女友達とのあれこれ。
そんな、自分以外には読みたくもないトピックが一ページ一ページ、もう書くスペースがないというくらい端から端まで、なんというかぐわああああぁぁぁああっと書き連ねてある。
思春期ノートなんかではなく呪いのノートかと思う程の文字数とびっしり感。
圧の強さが内容を読む前から伝わってくる。
その頃は自我が芽生えて、悩みも多く、思い通りにならないいろいろな事にやきもきする年頃だ。
もういろいろな事を大人のように考えたり出来るようになって、でもこどもだから出来る事は限られている。
そんなどうにもならないフラストレーションが行き場を失くして、細かい罫線の間にぎゅうぎゅうと詰め込まれている。
その頃のいこには、書くことは呼吸をすることと同義だったのだ。
年を経て変化していく思春期ノート
高校生になり、今までとは違った人種の人たちとの付き合いが始まる。
井の中の蛙は、井戸から這い出し広い空と眩しい緑を見た。青春の始まりだ。
歌志内の隣の隣町、滝川市の高校に通うことになったいこ。その高校はその地域で一番の進学校。
井の中では神童だったいこは、凡人だったことを知る。
頭が良くて、お金持ちで、おしゃれ。そんな輝く同級生達を見ながら、いこは自分の貧乏な生い立ちや生まれ持った恵まれない容姿に深く悩むようになる。
足は太い上に短い、ニキビ面だし、おでこは広すぎる、一重まぶた。そして貧乏…。
書いてると鬱々としてくるね笑
今となっては本当に大したことない事のように思えるけれど、当時学生のヒエラルキーを決めるモノは「かっこいい」、「かわいい」、「イケてる」、「センスあるー」、「面白い」。
そのどれにも当てはまらない人たちは陽の当たらない学生生活を送ることとなってしまう。
そして、井戸を這い上がれど、まだまだ狭い世界にいる普通の学生達にとっては、友達にどう思われるか、学校で目立てるかなどつまらない事が生きる上での最重要なプライオリティなのだ。
高校時代の思春期ノートはアイデンティティーの形成に葛藤する崇高な(?)ものだった。
経済力のない家に育ったいこは自分の強みを内側につくることに決めた。
なんだかわからない詩を書いてみたり、闇を抱えた絵を描いてみたりし始めた。
この頃から、パンクしそうな文字の羅列ではなく、余白の美学を踏まえたものに変化し始めた。
ノートは罫線のない真っ白な自由帳タイプ。無印良品の分厚いA5。
余白を大事にしながら言葉をしたためたり、または絵を描いた横に、気づきのように短い言葉をそっとのせたり。
作品(若かりしいこに敬意を払い、そう呼ばせていただきます。)は、爆発寸前のものもあれば、誰かに読まれることを前提にした人の目を気にした薄っぺらいものもあった。
でも、それはいこ自身が一番よく知っている。
読み返してみた時に、その時何を考えていたのかはっきり思い出すことができるからだ。
国語の教科書に載っていた坂口安吾、あれが真理。
高校の教科書で今も忘れない一説がある。
それが坂口安吾の日本文化私観 。
読書が好きないこもああゆう堅苦しいのは読んだことがなく、とても難しい内容で言い回しや文章も古く、教科書下の解説や、先生による噛み砕いた説明がなければ何の話が書かれているのかまったくわからないくらいだった。
そんな中でも、思春期ノートに没頭していたいこに一直線に刺さってきた一説がある。
坂口安吾は「美に就て」という章で、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦がどうして美しいのかを考察していた。
簡単に言うと「それは美しくする為に、備え付けられたものがなく、醜いからといって取り除かれたものがないからだ」と結論づけていた。
そして、物書きとしての自分の文章に関連付けてこう書いていたのだ。
『問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。』
いこはこの一説に完全に痺れた。一丁前に物書きマインドをもって、この一説に大いに賛同したのだ。
呼吸をするように書いていたいこにとって思春期ノートはまさに「表現せずにはやみがたい汝自らの宝石」に他ならなかった。
思春期ノートは高校と一緒に卒業。
そんなふうにして何年も綴り続けた思春期ノート。終盤のノートに書かれたあれこれは今でも思い出す事が出来る。
高校2年生からずっと好きな男の子がいた。名前を森田としよう。
いこは札幌の専門学校への進路が決まり、彼は東京の大学を受験する。
森田が大学に受かれば、離れ離れ。受かってほしいけど…と複雑な感情を抱いている時期。
森田にはいこに対して全く脈はない。なのに「離れ離れ」とか笑ってしまうが、いこの乙女心は当時真剣そのものだった。
北海道の卒業シーズンは雪の力も手伝って、とても切ない情景描写。
森田は、大学に落ち予備校生として札幌に留まることに。
かと言っていこを好きになることもなく。
いこはいこで井戸を這い出て、井戸の周りの景色の眩しさにくらくらしていた時期も忘れ、新たな札幌という都会のステージへ踊り出す。
そして読書と、思春期ノートへ想いをしたためるのが大好きだったあの控えめな少女は、都会に毒されパリピ化してしまうのだった……。
【追記】思春期ノートを書いている人を見つけた…!!
この記事を書いたあと、図書館でなんとなく借りたさくらももこさんの、『もものかんづめ (集英社文庫)』。
さくらももこさん自身の生活の中の様々な体験がおもしろおかしく描かれているエッセイである。
はるか昔に読んだことあるなぁ、と思いながらも内容を覚えていなかったのでもう一度読んでみたくなり借りてみたのだ。
すると、そこになんと『思春期ノート』という言葉の表現こそないが、まさしくそれについて書かれた章が!
「乙女のバカ心」という章だ。
さくらももこさんは思春期を『夢見る少女期』としている。
彼女の夢見る少女期もいこと同じ15歳から始まっている事にシンクロニシティを感じる。
夢見る少女期の初期は思春期ノートに想いをしたためるのではなく、芸能人に夢中になり手紙を書いたりするタイプの活動内容だったようだ。
そこから第二期に入り、頭の中に理想の男性を作り上げ、素敵な自分とお付き合いする姿を様々なパターンで妄想し楽しんでいたそう。
そして!!この頃から『夢見る恋の日記帳』、いこでいうところの『思春期ノート』を書き始めたのだ!
この頃から私は”夢見る日記帳”をつけ始めていた。日記というよりは詩に近いが、それは読む者を恥ずかしさで震撼させるパワーがある。
今日ね
久しぶりに
大好きなあなたの夢をみたの
ずーっと夢でもいいから
あなたといっしょにいたかったわたし
どうだ。この破壊力。
これを堂々と公表するさくらももこさんの懐の深さよ。あっぱれだ。
その他にも、身に覚えのあるような恥ずかしいポエムが、それを振り返ったももこさんのツッコミと共に紹介されている。
いこは勝手にももこさんに親近感を覚えたので、他のエッセイもおさらいしてみることにします。
思春期ノート、夢見る恋の日記帳、言い方は様々だけど、ぴんときたあなたは是非読んでみてください。