隣の少年の全力な唄声を毎日聞いている日常は嫌いじゃない




いこの住むマンションは特殊な形をしている。

 

昭和のバブル期に建てられたマンションでいわゆるスターハウス(星形住宅)とも違う独特な形。

言葉で説明するのはとても難しいが、L字型の棟に各階3世帯、その棟が入口を別にした別の2棟と背中を向けあってくっついているような。

 

築年数は40年を超えるが、中はリノベーションしてあり綺麗。昭和のノスタルジック感も残っているのがお気に入りのポイントである。

 

隣人と共にある、生活音だらけの構造

 

とっても気にいっているのだが、そのマンションの構造上かなり生活音が響く。

壁が薄いとかそういった事ではなく、隣の家とL字型に向かい合うように位置している為、少し大きな話し声だと窓を開けていれば一字一句話の内容がわかってしまうくらい音が壁に反響して聞こえてくるのだ。

こどもの泣く声や歌う声も日常茶飯事である。

 

 

そしてこのマンションに引っ越してきた1年ちょっと前のある日に衝撃の唄声を聞いたのだ。

いこ達のリビングは別の棟のお宅の寝室とL字型に対峙している。

 

ある日の夕方、リビングにて夕飯の準備に差し掛かった時、甲高い、声変わりしたかしていないかの年の頃の男の子の唄声が、突然西日の中の沈黙を破ったのだ。

いこの中で全力少年の鮮烈かつ衝撃のデビューだった。

 

最初は戸惑い、少し近所迷惑に感じてしまった。

そのくらい彼の唄声は全力である。

隣のいこ家だけではないだろう。少なく見積もっても他5~6世帯までは届く声量。

 

 

まさに全力少年なのだ。

 

彼は他の世帯に声が響くことを気にしたことがないのだろうか。

きっとヘッドフォンをして曲に没頭しながらの熱唱なのだろう。

 

さぞかし気持ちよかろう。

 

 

推測するに彼はジャスト中2くらいだろう。その自我と全力感がまさに中2。

別に揶揄している訳ではないのだ。中2だ。

 

一度あちらのベランダに出ているのをチラッと見た感じは、赤いTシャツを着ていた細身で普通の少年だった。

 

 

ジェネレーションを異にするいこにとっては知らない曲がほとんどだが、連日繰り返されるリサイタルに歌詞を覚えてしまった曲もあるくらいだ。

夕方彼の唄声が聞こえてくると、今日も無事に学校を終え、彼のリラックスタイムが始まったことを察する。

大体彼のボイトレは2時間近く続く。

 

いこはかなり早い段階で自分自身の生活リズムの中に、全力少年のボイトレが組み込まれたが、わさお君は違ったようだ。

ぶつぶつと文句を言う。しかしうちのわさお君だっていつもB’zを熱唱している。

 

きっと、その声は届いているよ。

 

隣の少年の全力の唄声を今日も聞くのだ

 

半年程前から、ストイックな全力少年は早朝にもボイトレをルーティンワークに組み入れたようだ。

朝6時頃、今度はいこ家の寝室とL字に対峙している全力少年家のお風呂場からシャワー音と共に全力ボイトレが始まる。

 

いこはちょうど起きる時間だから全力少年が目覚まし代わりになって便利なくらいだが、他のまだ寝ていたい人達が大丈夫だろうか?と心配になる。

 

こんないこも、大家さんを通じて注意してもらおうかと思った事が何度かある。

他の世帯の人だって考えたことがあるはずだ。

 

いくら全力少年とはいえ、一度でも苦情が入っている事を知ればきっと彼はもう歌わなくなるに違いない。

でも、彼は今日もあんなにも無垢に純真に歌っている。

 

ということは、きっと一度も苦情が入ったことがないのだ。

みんな同じ気持ちなんだろう。

 

彼の無垢な心を傷つけたくない、そして可能性の芽を摘み取りたくない。

 

彼が夢中になっていることに水を差したくないのだ。

 

練馬区とは言えここは東京。

マンションの築年数同様に、昭和のあたたかいカルチャーがここにはまだ存在している。

 

 

素敵なところに住めて本当によかった。

 

そして全力少年の歌唱力が一年前より少しだけマシになってきて本当によかった。(爆)

 

そういう日常が愛おしいじゃないか。嫌いじゃないよ、まったく。